日本ピューリタン教会 We Are the Japanese Puritan Church

Monday, March 27, 2017

善良なサマリア人 The Good Samaritan

愛知県春日井市のホームレス

イエス様は良いサマリア人の例え話を話しました。今日、私達の勤めとは、その良いサマリア人のようになる事です。それで、自分の隣人はどなたであるか、又、どのようにその隣人を助ける事が出来るか話しましょう。
モーセの律法は言います、『隣人を自分のように愛しなさい』と。イエス様はそれが正しいと言われました。しかし、律法の専門家が聞いたように、「では、わ たしの隣人とはだれですか」と。辞書を調べれば、隣人が自分の家の近くに住んでいる人、となりの家の人と定義するでしょう。しかし、イエス様の定義は違い ます。「隣人」とは、隣人を必要とする人です。又、今日の福新書の日課の律法学者の言葉を使いますと、隣人とは「その人を助けた人です。」口語訳聖書の言 葉が好きです:「その人に慈悲(じひ)深(ぶか)い行いをした人です。」それは憐れみです。ですから、「あの人が私の隣人かどうか」と聞かないで、「私が その人の隣人かどうか」と聞きましょう。「私が愛と憐れみ深い人であるかどうか」と聞きましょう。
例え話の中には、祭司とレビ人がいます。二人ともはその泥坊に襲われた人を見ましたが、二人ともが道の向こう側を通って行きました。近くにいなければ、と なりにいなければ、その人の隣人にならなくても良いように思ったでしょう。しかし、隣人になる事は、測る距離で決める訳ではありません、特に、現代の世界 にはそうです。私達の隣人とは、私達の愛と憐れみを必要とする人です。現代の世界では、遠く離れている人にも、いろいろの方法で愛と憐れみを表す事が出来 ます。それこそが福音のメッセージではありませんか?私達は決して神様から遠く離れていないので、神様はいつも御自分の愛と憐れみを表す事が出来ます。天 国が遠くても、神様が御子イエス様をこの世に遣わして下さいました、また、聖霊を私達の心と人生に送って下さいました。
良いサマリア人の例え話のもう一つの大きい教えとは、そのサマリア人は、ユダヤの国の隣の国か地方から来た人です。そして、昔から、ユダヤ人とサマリア人 は敵でした。その祭司とレビ人は、自分達の同じ国の人を助けなかったが、そのサマリア人は、自分の敵を助けました。その人を助ける前に、いろいろの質問を しませんでした。泥坊に襲われた人の国籍、宗教、政治的信条, 道徳、生活振り、経済状態などを聞きませんでした。泥坊は、彼の服や身分証明書をはぎ取って、なぐりつけて、半殺しにしたので、襲われた人は話したり説明 したりしなかったでしょう。
分かりますか?この点が一番大切でしょう。即ち、私達の隣人はいつも自分と同じ人間ではないです。必ず自分の好きな人や自分の友達ではありません。その人 を助けたくない時があれば、その人が苦しんでも良いと思います。いろいろの理由で、人を助けたくないでしょう。例えば、教会の郵便の中で、いろいろのチャ リティから募金を求める手紙が来ます。ちゃんとした立派な団体です。しかし、その食べ物のない人がクリスチャンではないインドネシア、又、バンラデシュの 国の人でしたら、あんまり憐れみや同情がありません。自分のヘンケンが気をつける瞬間、自分の良心が刺されています。それで分かって来たのは、本当の慈善 (じぜん)と愛は、質問をしないで、ただ、どうやって自分が手伝けできるかと聞きます。神様は雨と太陽と食べ物を、金持ちにもびんぽうな人にも、良い人に も悪い人にも、信者にも異教の人にも、無神論者にも与えるからです。神様は人々には何が必要か分かるので、神様こそは素晴らしい良いサマリア人です。
イエス様は素晴らしい良いサマリア人です。同時にイエス様は追いはぎに襲われた人のようです。十字架上にいる時、二人の泥坊の間にいました。イエス様も服 をはぎ取られ、殴り(なぐ)つけられ、十字架上で完全に殺されました。このようにして、私達を見つけました。私達も、罪や悪魔によって、服をはぎ取られ、 なぐりつけられて、半殺しになりました。通り過ぎないで、イエス様は私達の所に来られました。これはクリスマスの意味です。インマヌエル、神様が我々と共 にいる事です。私達を憐れんで下さいました。福音の赦しの油で私達の傷を癒して下さいました。聖餐式のぶどう酒です。教会である宿屋に連れて行きました。 再び来られるまで、再臨の時までに、そのクリスチャンの交わりの中で、介抱します。それは憐れみです。それは良い隣人です。
今日の福音書の日課の最後に、イエス様はその律法学者や私達にも話します、「行って、あなたも同じようにしなさい。」同じようにする為に、模範が必要で す。ほかの人の愛と親切を見て、私達も同じする事が出来ます。その模範とは、私達の両親、指導者、良い友達です。今日の旧約聖書のレビ記の日課には、他の 人と共に活きるアドバイスを与えます。モーセの律法のなかに書かれていますが、「隣人を自分のように愛する」事です。マルチン・ルターの小教理問答書の十 戒の説明はそうです。例えば、「殺してはいけない」だけではなくて、「人を活かす、隣人を手伝って、その人に友達になる事です」。又、「嘘を言う事がいけ ない」だけではなくて、自分の言葉や振る舞いで、友達を立たせる事です。
それで、もし良い良いサマリア人になりたいと思いましたら、イエス・キリストに従っている人を見てその人達に従って、あなたも、「行って、あなたも同じようにしなさい。」
アーメン。 

Jesus told the parable of the Good Samaritan. It is our job today to become like that Good Samaritan. And so we need to know who our neighbor is and how to help that neighbor.
Jesus supported the Law of Moses that says, “You shall love your neighbor as yourself.” But, as the Lawyer asks, who is our neighbor? The dictionary might say that “neighbor” is someone who lives in your neighborhood, perhaps next door or nearby in the “Nearhood.” But that is not the definition of Jesus. A “neighbor” is anyone who needs a neighbor, or using the words of the Lawyer in the Gospel reading, a “neighbor” is someone who shows mercy. Or rather than asking, “Is he or she my neighbor?” ask “Am I his or her neighbor?” “Am I a person of love and mercy?”
In the parable, the priest and the Levite both “passed by on the other side” of the road from where the stricken man was. They did not want to be near him, so they could justify themselves as not being near enough to be his neighbor. But being a neighbor has nothing to do with measurable distance, especially in our global world today. Our neighbor is someone who needs our love and mercy. In our global world today, even toward people far away, there are various ways that we can show that love and mercy. And isn’t that the message of the Gospel? We are never too far away from God for Him to show his love and mercy. And even if Heaven were far away, God sent his Son Jesus into this world, and sent the Holy Spirit into our hearts and lives.
Another big teaching of this parable is that the Samaritan was a foreigner from the neighboring country, but still a traditional enemy of the Jews. The priest and the Levite did not help their fellow countryman, but the Samaritan helped his enemy. Before helping him, the Samaritan did not question the victim about his nationality or religion or political beliefs or his morals or his orientation or economic stasis, etc. etc. The thieves had striped him and taken any identification and left him half dead so he wouldn’t have been able to talk and answer questions anyway.
Do you get this point? This is probably the most important. Our neighbors are not always like ourselves. They are not always people we like, nor our friends. We often do not want to help them and do not care if they suffer or not! We might even be glad that they suffer! Or we might be reluctant to help them because of many different reasons. For example: Often in the church mail there are letters from various charities asking for help. They are legitimate and good organizations. But sometimes I do not feel very sympathetic to the letters about the staving people in Bangladesh or Indonesia who are not Christians. And when I realize my prejudice, my conscious is pricked. And so I have learned that real love and charity does not ask questions, except the question of how I can help. God gives rain and sun and food to both the rich and the poor, to the good and the bad, to believers and pagans and atheists. God knows what people need, and so he is the Great Good Samaritan.
Jesus is the Great Good Samaritan, and at the same time, he was like the man who fell among robbers. Or rather than falling, he was raised up between two robbers on the cross. He likewise was stripped and beaten. He was left to die on the cross and was buried. And in that way, he found us when we were stripped and beaten by sin and the devil and left half dead. He did not pass us by, but rather came to us. That is the Christmas story of the Incarnation. Immanuel, God is with us. He did not pass us by. He had compassion on us. He binds up our wounds through the soothing gospel oil of forgiveness. It is the wine of the Holy Communion. He carries us to the inn of the church and to Christian fellowship where we are taken care of until he comes back, at the time of his Second Coming. That is mercy. That is being the Good Neighbor.
At the end of today’s Gospel reading Jesus speaks to the Lawyer, and to us. “You go, and do likewise.” I think it is important that we have models to follow so that we can do likewise. We need to see the love and charity of other people and “do likewise.” We need role models, like our parents or our leaders or good friends. In today’s Old Testament reading from Leviticus, there is some advice of how to live with other people. It is set in the Law of Moses, but gives guidelines for how to “love your neighbor as yourself.” We see how this is done in the explanation of the Ten Commandments in the Small Catechism of Martin Luther. Not just “do not murder” but “make alive,” help and befriend your neighbor. Not just “do not lie and bear false witness” but support and build up your friend in what you say and do.
And so, if you want to be a good Good Samaritan, follow those who follow Jesus Christ and “go, and do likewise.”

Thursday, September 22, 2016

キリスト教徒と世俗的な政治 - Christians and Secular Politics


 公然とした口論とまでは発展しないとしても、議論に自然と火をつけるものがあるとすれば、それは政治に関する話し合いであり、信者の間ですらもそうでしょ う。キリストに従う者として、政治に対する私たちの態度や、政治への私たちの関与はどのようなものであるべきでしょうか。「宗教と政治は交じり合わない」 とは言われてきましたが、それは本当に真実でしょうか。私たちには、キリスト教信仰を考慮に入れないで政治的な見解を持つことができるでしょうか。その答 えは否です。それはできません。聖書は、私たちが政治や政府に対してとるべき姿勢に関し、二つの真理を与えてくれています。

一つ目の真理は、神の意志は人生のすべての側面に行き渡り、優先するものだということです。あらゆること、また、あらゆる人に勝るものは神の意志です(マ タイの福音書 6:33)。神の計画と目的は定まっており、神の意志は侵すことができません。神が意図されたことは、神が実現させ、どのような政府にも神の意志を妨害す ることはできないのです(ダニエル書 4:34-35)。実際、「王を廃し、王を立て」るのは神です(ダニエル書 2:21)。それは、「いと高き方が人間の国を支配し、これをみこころにかなう者に与え」るからです(ダニエル書 4:17)。この真理を明確に理解すれば、私たちには、政治というものが単に神がそのみこころを達成するために用いる一つの方法に過ぎないものであること が分かるでしょう。悪人が彼らの政治的権力を濫用して悪を計ったとしても、神はそれを善のために計り、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召 された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる」のです(ローマ人への手紙 8:28)。

二つ目に、私たちは政府には私たちを救うことができないという事実を把握しなくてはなりません!それは神にしかできないことなのです。イエスや使徒たち が、異教に染まる世界に対し、その偶像崇拝的、非道徳的で堕落した慣習からその政府を通して改心させる方法を信徒たちに教えるために時間や努力を費やした とは、新約聖書のどこにも書かれていません。使徒たちが、ローマ帝国の不当な法律や残忍な策略に抗議するべく市民的不服従を実践するようにと信者たちに呼 びかけたことは、一度もありませんでした。その代わりに、使徒たちは、一世紀のクリスチャンたちにも、今日の私たちにも、福音を宣べ伝え、人を変えること のできる福音の力をはっきりと証明する生き方をするようにと命じたのです。

政府に対する私たちの責任が善良な市民として法に従うことであることには、疑問の余地がありません(ローマ人への手紙 13:1-2)。神がすべての権威を立てたのであり、神は私たちの益のために、「善を行うものをほめるように」(ペテロの手紙 第一 2:13-15)そうされるのです。パウロはローマ人への手紙(13:1-8)で、権威を持って私たちを支配し、(願わくは私たちの利益のために)徴税 し、平和を維持することが政府の責任であると教えています。私たちに発言権があり指導者を選ぶことができる場合には、私たちは、私たち自身の見解に最もよ く相似した見解を持つ人たちに投票することによって、その権利を行使するべきです。

サタンの最大の欺きの一つは、私たちが政治家や政府高官らの神を敬う生き方や社会的道徳性に希望を置くことができるというものです。国家の変化への希望 は、いかなる国の支配階級のうちにも見つかるものではありません。もしも教会が、聖書の真理とキリスト教的価値を弁護し、推進し、保護することが政治家の 仕事であると考えているなら、それは間違いです。

神から与えられている教会の特有の目的は、政治的能動主義にはありません。聖書には、私たちのエネルギーや、時間、お金を政府の活動に費やすようにと指示 している部分はどこにもありません。私たちの使命は、政治改革によって国家を変えることにではなく、神のみことばによって心を変えることにあります。信者 が、キリストの影響と成長とがどうにかして政府の政策と結び付けられることができると考えているなら、彼らは教会の使命を損なっているのです。私たちクリ スチャンの任務は、キリストの福音を広め、私たちの時代がかかえる罪を非難することです。社会において個人個人の心がキリストによって変えられていくにつ れ、ようやくその社会はその変化を反映し始めるものです。

信者たちは、時代を超えて、敵対的、抑圧的で非キリスト教的な政府の下に生き、繁栄さえしてきました。これは、非情な政治体制の下、莫大な社会的圧力の下 で信仰を維持した一世紀の信者たちに特に当てはまります。彼らは、政府ではなく、自分たちが世の光であり地の塩であることを理解していたのです。彼らは上 に立つ権威に従い、彼らを恐れ、敬い、彼らのために祈りなさいとまで言うパウロの教えを守っていました(ローマ人への手紙 13:1-8)。さらに重要なことは、彼らが、信じる者として、自分たちの希望は神のみが与えてくださる守りの中にあると理解していたことです。同じこと が今日の私たちにも当てはまります。私たちは、聖書の教えに従う時、神が意図されたとおりに世の光となるのです(マタイの福音書 5:16)。

政治組織は世の救世主ではありません。人類すべてのための救いはイエス・キリストのうちに現されました。いかなる国家政府が設立されるよりもずっと以前 に、神は私たちの世界が救いを必要とすることを知っておられました。神は、救いが人間の権力や経済力、軍事力や政治によって達成されうるものではないこと を世に示されました。心の平安、充足、希望、喜び、そして類の救いは、ただ、神の信仰と愛と恵みの御業によってのみ達成されるものなのです。

If there is anything that will spark a spontaneous debate, if not an outright argument, it is a discussion involving politics—even among believers. As followers of Christ, what should be our attitude and our involvement with politics? It has been said that “religion and politics don’t mix.” But is that really true? Can we have political views outside the considerations of our Christian faith? The answer is no, we cannot. The Bible gives us two truths regarding our stance towards politics and government.

The first truth is that the will of God permeates and supersedes every aspect of life. It is God’s will that takes precedence over everything and everyone (Matthew 6:33). God’s plans and purposes are fixed, and His will is inviolable. What He has purposed, He will bring to pass, and no government can thwart His will (Daniel 4:34-35). In fact, it is God who “sets up kings and deposes them” (Daniel 2:21) because “the Most High is sovereign over the kingdoms of men and gives them to anyone he wishes” (Daniel 4:17). A clear understanding of this truth will help us to see that politics is merely a method God uses to accomplish His will. Even though evil men abuse their political power, meaning it for evil, God means it for good, working “all things together for the good of those who love him, who have been called according to his purpose” (Romans 8:28).

Second, we must grasp the fact that our government cannot save us! Only God can. We never read in the New Testament of Jesus or any of the apostles expending any time or energy schooling believers on how to reform the pagan world of its idolatrous, immoral, and corrupt practices via the government. The apostles never called for believers to demonstrate civil disobedience to protest the Roman Empire's unjust laws or brutal schemes. Instead, the apostles commanded the first-century Christians, as well as us today, to proclaim the gospel and live lives that give clear evidence to the gospel’s transforming power.

There is no doubt that our responsibility to government is to obey the laws and be good citizens (Romans 13:1-2). God has established all authority, and He does so for our benefit, “to commend those who do right” (1 Peter 2:13-15). Paul tells us in Romans 13:1-8 that it is the government’s responsibility to rule in authority over us—hopefully for our good—to collect taxes, and to keep the peace. Where we have a voice and can elect our leaders, we should exercise that right by voting for those whose views most closely parallel our own.

One of Satan’s grandest deceptions is that we can rest our hope for cultural morality and godly living in politicians and governmental officials. A nation’s hope for change is not to be found in any country’s ruling class. The church has made a mistake if it thinks that it is the job of politicians to defend, to advance, and to guard biblical truths and Christian values.

The church’s unique, God-given purpose does not lie in political activism. Nowhere in Scripture do we have the directive to spend our energy, our time, or our money in governmental affairs. Our mission lies not in changing the nation through political reform, but in changing hearts through the Word of God. When believers think the growth and influence of Christ can somehow be allied with government policy, they corrupt the mission of the church. Our Christian mandate is to spread the gospel of Christ and to preach against the sins of our time. Only as the hearts of individuals in a culture are changed by Christ will the culture begin to reflect that change.

Believers throughout the ages have lived, and even flourished, under antagonistic, repressive, pagan governments. This was especially true of the first-century believers who, under merciless political regimes, sustained their faith under immense cultural stress. They understood that it was they, not their governments, who were the light of the world and the salt of the earth. They adhered to Paul’s teaching to obey their governing authorities, even to honor, respect, and pray for them (Romans 13:1-8). More importantly, they understood that, as believers, their hope resided in the protection that only God supplies. The same holds true for us today. When we follow the teachings of the Scriptures, we become the light of the world as God has intended for us to be (Matthew 5:16).

Political entities are not the savior of the world. The salvation for all mankind has been manifested in Jesus Christ. God knew that our world needed saving long before any national government was ever founded. He demonstrated to the world that redemption could not be accomplished through the power of man, his economic strength, his military might, or his politics. Peace of mind, contentment, hope and joy—and the salvation of mankind—is accomplished only through His work of faith, love, and grace.

Wednesday, September 21, 2016

苦しみでイエス Jesus in the Suffering

We love our pets. People we discard. We can go to jail for abusing animals. We pass by the suffering every day. Stop! Take time to love the weak and helpless.

ペットは愛されています。人々はを捨てことができます。動物を乱用するために刑務所に行きます。人々は毎日虐待されています。 やめる!人々に愛を示します。

Tuesday, March 22, 2016

ブリュッセルのための平和。Peace In Brussels.



ベルギーのために祈ります私たちの心はあなたとしています
Pray for Belgium.