日本ピューリタン教会 We Are the Japanese Puritan Church

Tuesday, March 22, 2016

ブリュッセルのための平和。Peace In Brussels.



ベルギーのために祈ります私たちの心はあなたとしています
Pray for Belgium.

Thursday, March 17, 2016

良い羊飼い The Good Shepherd



そこで、イエスはまた言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。 わたしよりも前にきた人は、みな盗人であり、強盗である。羊は彼らに聞き従わなかった。 わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。  盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。  わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。 羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。 彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。 わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。 それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。 わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。 父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。 だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。 
ヨハネによる福音書 10:7-18

Then said Jesus unto them again, Verily, verily, I say unto you, I am the door of the sheep. All that ever came before me are thieves and robbers: but the sheep did not hear them. I am the door: by me if any man enter in, he shall be saved, and shall go in and out, and find pasture. The thief cometh not, but for to steal, and to kill, and to destroy: I am come that they might have life, and that they might have it more abundantly.
I am the good shepherd: the good shepherd giveth his life for the sheep. But he that is an hireling, and not the shepherd, whose own the sheep are not, seeth the wolf coming, and leaveth the sheep, and fleeth: and the wolf catcheth them, and scattereth the sheep. The hireling fleeth, because he is an hireling, and careth not for the sheep. I am the good shepherd, and know my sheep, and am known of mine. As the Father knoweth me, even so know I the Father: and I lay down my life for the sheep. And other sheep I have, which are not of this fold: them also I must bring, and they shall hear my voice; and there shall be one fold, and one shepherd. Therefore doth my Father love me, because I lay down my life, that I might take it again. No man taketh it from me, but I lay it down of myself. I have power to lay it down, and I have power to take it again. This commandment have I received of my Father.
Gospel of John 10:7-18

Thursday, March 10, 2016

私たちは覚えています We Remember


主イエス・キリスト被害者と家族を祝福します

Lord Jesus Christ, bless the victims and families.





Thursday, November 12, 2015

イエスの人生。(日本語) The Life of Jesus.

子供のためのイエス·キリストの物語-日本語

The Story of Jesus for Children in Japanese 

  

 

Sunday, November 8, 2015

ピューリタンクリスマス Puritan Christmas

ピューリタン教会は なぜ クリスマス を 祝わ ない の です か。

  • イエス は,自分 の 誕生 で は なく 死 を 記念 する よう 命じ まし た。―ルカ 22:19,20。
  • イエス の 使徒 たち と 初期 の 弟子 たち は,クリスマス を 祝い ませ ん でし た。「新 カトリック 百科 事典」(英語)に よれ ば,「キリスト 降誕 の 祭り が 行なわ れる よう に なっ た の は,早く とも[西暦]243 年 以降」で あり,使徒 たち の 最後 の 一 人 が 亡くなっ て 1 世紀 以上 たっ て から の こと です。
  • イエス の生ま れ た 日 が 12 月 25 日で ある こと を 示す 証拠 は あり ませ ん。聖書 中 に 誕生 の 日付 は 記さ れ て い ませ ん。
  • クリスマス は,異教 の 慣習や 儀式 に 由来 する の で,神 に 是認 さ れ て い ない,と わたしたち は 考え て い ます。―コリント 第 二 6:17。




クリスマス を,異教 に 由来 し 聖書 的 根拠 は ない と 分かっ て い て も 祝う クリスチャン は 少なく あり ませ ん。それら の 人 は,なぜ 世間 の 不評 を 買っ て まで クリスマス の 祝い を 避ける の か,問題 に する 必要 は ない の で は ない か,と 言う こと でしょ う。

聖書 は クリスチャンに,自分 で 考え,「理性」を 働か せる よう 勧め て い ます。(ローマ 12:1,2)また,真理 つまり 真実 を 重んじる よう 教え て い ます。(ヨハネ 4:23,24)ですから わたしたち は,他 の 人 から どう 思わ れる か を 気 に かけ ない わけ で は あり ませ ん が,聖書 の 諸 原則 に 付き従い ます。たとえ 世間 の 不評 を 買う と し て も,そう する の です。

ピューリタンは,クリスマス を 祝わ ない こと に し て い ます が,個々 の 人 の 決定 する 権利 を 尊重 し ます。他 の 人 の 行なう クリスマス の 祝い を 妨害 し たり は し ませ ん。

世界 中 で 非常 に 大勢 の 人々 が,様々 な 理由 で クリスマス を 祝い ます。友人 や 家族 と 一緒 に 楽しく 過ごす 人 も いれ ば,神 に つい て 考え たり,困窮 し て いる 人 たち を 助ける 慈善 活動 を 行なっ たり する 人 も い ます。それ 自体 は,確か に 価値 の ある こと です。しかし この 祝祭 に は,そう し た こと に 暗い 影 を 落とす 良く ない 面 が あり ます。

第 1 に,クリスマス は イエス の 誕生 日 だ,と 信じ て 祝っ て いる 人 が 少なく あり ませ ん が,歴史 家 たち は 一般 に,イエス の 誕生 日 は 特定 でき ない と いう こと で 意見 の 一致 を 見 て い ます。「クリスチャン の 質問 集」(英語)に は,「初期 の キリスト 教徒 は,あらゆる 異教 の 慣行 と の 関係 を 絶つ」こと を 望ん で い た の で「イエス の 誕生 し た 日 を 特別 視 し よう と は し なかっ た」と 述べ られ て い ます。興味深い こと に,聖書 に も,イエス が 自分 自身 や 他 の だれ か の 誕生 日 を 祝っ た こと を うかがわ せる もの は 何 も あり ませ ん。イエス は,誕生 日 で は なく 自分 の 死 を 記念 する よう 命じ まし た。―ルカ 22:19。

第 2 に,多く の 学 者 たち は 異口同音 に,クリスマス に 見 られる 風習 の ほとんど は,キリスト 教 で は ない 異教 の 習慣 に 由来 する,と し て い ます。サンタクロース や,ヤドリギ,クリスマスツリー,プレゼント の 交換,キャンドル,ユール ・ ログ(大きな 薪),リース,クリスマスキャロル など が それ です。そう し た 風習 の 一部 に 関し て,「カトリック 教会 の 外観」(英語)と いう 本 に は,こう 述べ られ て い ます。「わたしたち の うち,クリスマスプレゼント を 贈っ たり 贈ら れ たり し,自宅 や 教会 に 緑 の リース を 飾る 時,これ は 異教 の 習慣 か も しれ ない,と 思う 人 が どれ ほど いる だろ う か」。




それでも,それら の 習慣 は 悪い もの で は ない の で,し て も いい の で は ない か,と 思う 人 も いる こと でしょ う。答え を 得る ため に,次 の 第 3 の 点 に つい て 考え て み て ください。エホバ 神 は,清い 崇拝 に 異教 の 習慣 を 混ぜる こと を 是認 さ れ ませ ん。神様 の 崇拝 者 で あっ た 古代 イスラエル の 人々 が 正しい 道 から それ た 時,神様 は 預言 者 アモス を 通し て,「わたし は あなた方 の 祭り を 憎み,これ を 退け た。……あなた の 歌 の 騒々しさ を わたし の もと から のけ よ」と お告げ に なり まし た。―アモス 5:21,23。

神 様が その よう な 厳しい 言い方 を なさっ た の は なぜ でしょ う か。古代 イスラエル の 北 王国 の 人々 は どんな こと を し て い た の でしょ う か。初代 の 王 ヤラベアム は,ダン と ベテル の 両 都市 に 金 の 子牛 を 置い て,民 が それら の 像 を 崇拝 する よう に させ まし た。エルサレム の 神殿 で 正しく神 を 崇拝 する 代わり に そう する よう,仕向け た の です。また,種々 の 祭り を 制定 し,祭司 たち を 任命 し て 民 が 祭り を 祝える よう に し まし た。―列王 第 一 12:26‐33。

それら イスラエル 人 が 行なっ て い た 事柄 に は,もっとも らしい 理由 が あり まし た。そう し た 事柄 すべて を,神 を 崇拝 し 喜ばせる ため と いう こと で 行なっ て い た の です。しかし,神 が アモス や 他 の 預言 者 を 通し て お告げ に なっ た 厳しい 言葉 は,それら の 慣行 に 対する 神 の お気持ち を はっきり 示し て い ます。神 は 預言 者 マラキ を 通し て,「わたし はあなたの神 で あり,わたし は 変わっ て い ない」と 言明 し て おら れ ます。(マラキ 3:6)その こと から,今日 の クリスマス に 関連 し た 多く の 祝い事 を 神 が どう 思っ て おら れる か,明らか で は ない でしょ う か。

以上 の こと を 考え て クリスマス を 祝わ ない こと に し た 人 が 大勢 い ます。それら の 人 は,年間 を 通じ て いつ で も 自分 の 望む 時 に,友人 や 家族 と 一緒 に 時 を 過ごし たり,困窮 し て いる 人 たち を 助け たり し て,喜び と 満足 を 味わっ て いる の です。




Why don’t Puritans celebrate Christmas?

  • Jesus commanded that we commemorate his death, not his birth.—Luke 22:19, 20.
  • Jesus’ apostles and early disciples did not celebrate Christmas. The New Catholic Encyclopedia says that “the Nativity feast was instituted no earlier than 243 [C.E.],” more than a century after the last of the apostles died.
  • There is no proof that Jesus was born on December 25; his birth date is not recorded in the Bible.
  • We believe that Christmas is not approved by God because it is rooted in pagan customs and rites.—2 Corinthians 6:17.


Many Christians still celebrate Christmas despite knowing about its pagan roots and lack of support from the Bible. Such persons could ask: Why should Christians take such an unpopular stance? Why make it an issue?

The Bible encourages Christians to think for ourselves, to use our “power of reason.” (Romans 12:1, 2) It teaches us to value the truth. (John 4:23, 24) So while we are interested in how others view us, we adhere to Bible principles even if it means that we become unpopular.

Although Puritans choose not to celebrate Christmas ourselves, we respect each person’s right to decide for himself in this matter. We do not interfere in the Christmas celebrations of others.

Millions of Christians worldwide celebrate Christmas for various reasons. Some enjoy festive times with friends and family. Others think about God or devote time to helping the poor or needy. By themselves, these are undoubtedly worthy deeds. However, they are clouded by the dark side of this holiday.

First, many celebrants believe that Christmas is a birthday celebration for Jesus. However, historians widely concur that the date of his birth is unknown. The Christian Book of Why notes that “the early Christians refused to set aside a date marking Jesus’ birth” because they wanted “to divorce themselves from all pagan practices.” Interestingly, the Bible gives no indication that Jesus ever celebrated his own birthday or anyone else’s. In contrast, he did command his followers to commemorate his death.—Luke 22:19.

Second, many scholars agree that most Christmas traditions have their roots in non-Christian and pagan customs. These include Santa Claus, as well as using mistletoe and the Christmas tree, exchanging gifts, burning candles and Yule logs, hanging decorative wreaths, and caroling. Regarding some of these customs, the book The Externals of the Catholic Church observed: “When we give or receive Christmas gifts, and hang green wreaths in our homes and churches, how many of us know that we are probably observing pagan customs?”

You, though, may wonder what is wrong with following these seemingly innocent customs. Consider this third point as an answer. God does not approve of the blending of pagan customs with pure worship. Through His prophet Amos, God said to His wayward worshippers in ancient Israel: “I hate, I despise your festivals . . . Spare me the din of your songs.”—Amos 5:21, 23.

Why such strong words? Consider what the people of the northern kingdom of ancient Israel were doing. Their first king, Jeroboam, placed golden calves in the cities of Dan and Bethel and induced the people to worship these rather than to worship God properly at the temple in Jerusalem. The king also instituted festivals and appointed priests to help the people celebrate them.—1 Kings 12:26-33.

What those Israelites did was seemingly for a good cause. After all, were they not doing all these things in the name of worshipping God and pleasing him? God’s strong words through Amos and other prophets indicate clearly just how God felt about such practices. Through the prophet Malachi, God said: “I am your God; I do not change.” (Malachi 3:6) Does that not tell us how God feels about the many Christmas celebrations today?

After considering the above facts, millions of people have decided to abstain from celebrating Christmas. Instead, they find joy and true satisfaction in spending time with their friends and family and in helping the poor and needy whenever they wish throughout the year.



Sunday, April 19, 2015

あなたが与える慈悲は1000倍に返されます。 The Mercy You Give Is Returned 1000 Times.

 Mr. James Afibi アフィビさん






Mr. Philip Beech ビーチさん

私たちのサポーターに感謝します。あなたは神の子である

Thank you to our supporters.  You are God's children.

Tuesday, April 14, 2015

覚えている - Remember








オスマン帝国領内でアルメニア人に対する大規模な虐殺が起きた。このうち第一次世界大戦中のアルメニア人虐殺は、1915年から1916年にかけて統一と進歩委員会(青年トルコ党)政権によって行われた、伝統的なアルメニア人居住地 (いわゆる大アルメニア)の南西部にあたるオスマン帝国領のアナトリア東部 (いわゆる西アルメニア)からのアルメニア人強制移住であり、これにともなって数多くのアルメニア人が犠牲になった。オスマン帝国に居住するアルメニア人が政府の命令により意図的に殺害されたとして、この虐殺事件を近代初のジェノサイドの一つであるとみなすものは少なくない。

アルメニア人社会では「虐殺がナチス・ドイツによるユダヤ人に対するホロコーストのように組織的に行われた」と考えられており、またオスマン帝国からトルコ共和国に至る「トルコ国家」が一貫した責任を有するとする。特に4月24日は、ジェノサイド追悼記念日とされており、毎年トルコを非難する国際的なキャンペーンが行われている。 アルメニア人の死者数は、一般的に100万から150万人の間であると考えられている.

平和のために祈りましょう


The Ottoman government's systematic extermination of its minority Armenian subjects inside their historic homeland which lies within the territory constituting the present-day Republic of Turkey. The total number of people killed as a result has been estimated at between 1 and 1.5 million. The starting date is conventionally held to be 24 April 1915.

Let us pray for peace.